ゴーン・ガール見てきました
ハローエブリバディ!ジャンです!!
ちょもすさんに影響されてゴーンガール見てきました。
ゴーン・ガール見ました(ネタバレなし) - chomoshのブログ
とりあえずこれを見てほしい。面白そうだなぁと思った人はさっさとブラウザの×を押して見に行きましょう。ここから1文字読むことに映画の面白さが失われていく事請け合いです。この記事にはゴーン・ガールを見てからもう一度戻ってきてほしい。
映画全体から緊迫感が漂ってくるってのがたぶんなんだけどこの映画の一番の売りで、そこに前提情報ってたぶん必要ないんすよね。トレーラーを見てそれだけで十分。
大どんでん返しみたいなのはなんもなくて、面白いんだけどじゃあどこが?って問われると困る。あえて語るなら細部のカメラワークみたいなのは前評判通り最高だしBGMがいい味出してた。そういうのが織りなす雰囲気が最高だったんだと思う。
さて、そんなに長くは書かないですけどここからはすでに視聴済みなことを前提に感想を話していきます。
意識してるなぁって思ったのは、夫ニックは弱いけど決してその弱さが女性的なものじゃなくて男として弱い部分があるってことと、妻エイミーは強いけど決してその強さが男性的なものじゃなくてあくまで女として強いってこと。
お互いにしっかりその男性的だったり女性的だったりする役割を演じていたからこそ壊れていく日常とその回想が緊迫感を生んでましたね。結局Amazingであれるのは本の中だったり映画の中だったりだけで現実世界はそうじゃない、それが繰り返されてるんだなぁと。
最後までハッピーエンドとかバッドエンドとかはっきりしたものはあまり提示されなくて、もやもやして何かを問われたわけじゃないのに考えさせられる、そういう感じでした。
んで自分なりに考えた結果、たぶんこの映画が言いたいのは役割を演じる人が増えたよねってこと。夫婦の仲っていうものでこの映画は表してたけど実はそれって大衆的に最もわかりやすい形であらわしてるだけであってもっと別なところに言及してるんじゃないかなと思った。
例えばTwitterもそうだしフェイスブックなんかもそう。ちょっと遡ればmixiなんかも。周りが求める自分を少なからず演じてるんじゃないかと思う。インターネットが普及して誰もが発信者になれるこういうご時世だからそこに問題提起したかったんじゃないかと思う。だからと言って役割を演じてることに批判的な映画ではなかったんだけど。
結局のところ人は人に好かれるために多かれ少なかれ個人を殺し大衆迎合する、そんなことは昔から誰もがやっていたんだけど最近はもっと気にしなきゃいけないよね。そしてどっちを選ぶかは好きにしたら?世間も個人もいつも見てるけどね!ってことかな。
なんか結論が見えないままになっちゃうんすけどthat's Jean blog(ジャンのブログってそういうものでしょ)って感じですかね。